炎天下に繰り出すのは

備忘録、自省

順風満帆な就活時代から、精神病になって休職するまで。

 

 


去る2021年の6月末から、休職をした。

 


その時は、もう限界だった。

まず、食べ物が喉を通らなくなった。約2日間、

ほとんど水しか摂っていなかった。

最後の日は、電車に乗って、まず涙が止まらなくなった。

それから、いつもの喫煙所に着いて、

20分くらい、体が動かなくなった。

心が制御出来なくなると、身体も制御出来なくなる。

聞いた事はあるけど、本当に動かなくなるものなんだと、実感した。

 


何故こんな事になったのか。

 


どこの会社の面接もスムーズに進み、同期の誰よりも早く内定を勝ち取り、

それなりの大企業だったので、就活は順風満帆だった。

無事卒業した、と思ったら、例の流行り疾病。

2ヶ月間、ずっと家でPCの前に向かって研修。

まあ、そこまでは良かった。自主学習の日は一日中寝てても給料満額貰えたし。

 


仮配属期間から違和感を感じ始めた。

教育店舗には4人配属され、

僕が配属された部署の他の3人の同期と、とにかく性格が合わなかった。

性格がきつい女の子からは毎日よく分からない詰めを受け、

サイコパスっぽい男の子からは無視されたと思ったら仲が良い素振りを見せられたりして、とにかく気を遣った。お嬢様の女の子は発言に配慮がまるでない。

最後の送別会は、嬉しすぎてベロベロに酔っ払った。

 


本配属され、新人が僕一人になってからも憂鬱な日々は続いた。

所長は社内でも有名なパワハラおじさん。

今は流石にやらなかったけど、昔は手を出すことも辞さない人だったらしい。

今思えば親心があって優しい所もあったけど、

自分は鈍いというかマイペースすぎて、

毎日のように怒られていた。

 


所長だけでなく、チームリーダーからも、インストラクターからも、

同じチームのベテランの上司からも、

来る日も来る日も、怒られ、嫌味を言われ、

仕事が嫌になり、自信を無くしていった。

 


もちろん自分も悪い所もたくさんあるし、上司も構ってられなかったんだと思う。

周りの人間はこんな所。ここまでは、よくある話じゃないかなと思う。

世の中の人がどう働いているのかは見た事はないけど、

みんな、人間関係に耐えて我慢して働いているんだと思う。

 


僕の場合は環境もあったと思う。

僕がいたセンターは、いわゆる高級住宅街がメインの店舗。

競合他社がひしめき、他のセンターよりもどう考えても難しかった。

会社のエースが集められたようなセンターだったが、

それでも目標を達成出来ない事もあった。

そんな所で、知識も腕もなくて任せられる業務も少ない新人が、

どうしろって言うんだよ。

 


上司もろくに営業に同行してくれないし、営業も教えてくれない。

当然、実績も上がらない。1年働いて契約出来たのは、

5000万円台のマンション1件だけ。

月日が流れてもホワイトボードには0の数字が並ぶ。

で、上司に詰められる。

そんな中、周りの同期は、どんどん実績を上げていく。

焦って必死になっても、全て空回り。

 


そうこうしているうちに、所長の異動が決まった。

もう少しマシになるかと思ったら、

次に来る人もパワー系で有名な人。

別チームのリーダーからは「お前は潰されると思う笑」と言われた。

 


新しい所長が来たら、最初は様子見で優しかったものの、

だんだん牙を剥いてきた。

今まで長く残業しても21時までだったけど、

終電まで残る事も増えた。

この人は叱るというより、罵倒ばかりしてきた。

一番酷いと思ったのは、「お前は運転が下手そうだから」

と言う理由で営業車を運転禁止にされたことがあった。

周りで聞いている人も、所長に同調していた。

誰もおかしいと言う人はいなかった。

このセンターに、自分の味方は誰もいないんだなと思った。

あんたら、何かの知的障害、持ってんじゃねえの。

 


とにかく、早くこの地獄の奥底から逃げ出したかった。

年に一度、本部から配信される異動希望のシートを、

配信されてから30分くらいで「今すぐ異動したい」と入力し、提出した。

 


そうこうしているうちに、休職のきっかけとなった出来事があった。

追い続ければ確実に買うなというお客さんがいて、

毎週のように見学の時間を作ってもらっていた。

そのお客さんが、いよいよ決めようというタイミングがあった。

その時だけは、なんとかお願いして上司に同行してもらった。

 


前日の時間をほとんどをその準備に費やした。

そしてその当日、満を持して、今までで一番力を入れて接客した。

 


申込すら、貰えなかった。

同行してもらった上司には、たくさん嫌味を言われた。

 


センターに帰り、みんなに馬鹿にされた。

もう、耐えられないと思った。

 


それから、最初の話に戻る。

何も食べれなくなった。

眠れなくなった。

涙が止まらなくなった。

体が動かなくなった。

 


心がポッキリ折れた。

 


それから2日だけなんとか会社に行った。記憶はないけど。

 


そして、予約がすぐに取れる精神科に行った。

状況を話すと、30秒くらいで

適応障害ですね。明日から仕事を休んでください。」

と言われ、診断書を出された。

そして、人事部に連絡。

人事の人はお金の心配をしてくれた。

傷病手当金があるので」と言ったら、人事の人からの返答はまさかの「なにそれ?」

そんなの、人事の人ですら知らなくていいくらいホワイトな会社なんだ、本当は。

なんで、俺だけ。

 


でも、電話が終わって、明日からもう行かなくていいんだと思うと、

喜びというか、なんだか嬉しくて、テンションが上がった。

その後、一人で、立ち食いの焼肉屋で好きな肉を食べて、

たくさんビールを飲んだ。それくらい嬉しかったのかな。

隣の女性二人組が、偶然、適応障害の話をしていた。

別に、聞いたりはしなかったけど。

 


で、何もかも忘れたかったから、

東京を離れて、北アルプスに登りに行った。

昔から俺のこと知ってる人は思うかもしれないけど、

そういうとこ、俺っぽいよね。

この事はまた別の記事で書きたいと思います。

 


みなさんも、もうダメだと思ったら、

ちょっとくらい休んでもいいと思います。人生長いし。

あと、困った時は誰かに打ち明けると思ったより助けてくれるし、

最後には日本の制度だったり行政だったりが助けてくれる。

もちろん僕も相談に乗ります。

特に、金銭面のについては色々知ってることあるので、

どうぞお気軽に。

 


次は、休職中に葛藤したこととか、

人の優しさに触れて嬉しかった事とか、

書いていきたいと思います。

ま、気が向いたら書きますね。よかったら読んでください。

 


最後まで読んでくれて、ありがとうございました。

 


それでは、ひとつよしなに。

日常と非日常(ベトナム4日目)

今日、小学生以来かな。クレヨンしんちゃんの映画「栄光のヤキニクロード」を鑑賞した。観たことある人も多いと思う。

大人になってから改めて観ると、子供の時とはまた違った気づきがある。

 

ひとつ気づいたのは、「非日常・荒唐無稽さ」から「日常・普遍的なもの」に変化するシーン・仕掛けが何度かあるという事。映画全体としても、最初は訳もわからず敵に追いかけ回され、紆余曲折あり勝利するものの、最終的には帰宅し家族で焼肉を堪能する庶民的な日常に戻るというのが全体的な流れであるが、その戻り方が熱海から新幹線と在来線を乗り継ぎ帰宅しており、それまでとは落差があり呆気なく日常に戻っている。が、僕が思うにもっと簡単なもので、しかも象徴的なシーンがある。それは敵の小太りの中年が野原家に敗北し、解散が宣言された直後、普通の見た目の奥さんが「お弁当あるわよ」なんて言いながら車で迎えに来て、「いやぁ、今日は疲れたから帰るよ。」と言いながら帰路に着く。一瞬そのギャップにポカンとしてしまったが、悪役にも日常があり、このキャラクターの場合は家庭もある。子供はいるのかなぁ、なんて考えた。

そう、非日常になるまでとその非日常の中には色々ストーリーがあるけれど、非日常から日常に戻るのなんて、本当に呆気のないもの。そして、戻った時には改めてその普遍的な毎日のありがたさに気づく。

 

さて、そもそもの話に立ち返りましょう。これは僕の旅の備忘録。この前振りをどこの旅に当てはめるかと言うと、まだ書いていなかったベトナム4日目のお話。

 

その日は旧正月に入る前日、つまり大晦日にあたる日だった。

お店はほとんど空いてないし、雨だし…空港までのお迎えが来る21時までどうしようかなあと考えていた。とりあえずタクシーでロッテ百貨店に向かう。ここにいればいい感じに時間を潰せるだろう。とりあえずフラフラして、喫煙所に入って、ご飯を食べる。またフラフラして、有名なカフェに入ってコーヒー2杯で2時間を潰す。いつもはちょっと思う所があるけど、その日は注文した物がなかなか出てこないのも全然ウェルカムだった。何故なら、とにかく時間を潰せればいいから。

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それでもやる事が無くなって、近くの日本人街をフラフラしながら、近くで空いていたカフェで時間をまた潰した。後から調べたらそこは有名な所らしかった。

 

それでも飽きてしまって、またハノイ旧市街にタクシーで戻り、見つけたマッサージ店に入ることにした。ここだったら少なくとも1時間は過ごせる。まあ、そうだったんだけど、100万ドンを寄越せと18歳の可愛い女の子にせがまれ、手で下の世話をされたのはまた別の話。

 

マッサージ店を出ると、近くから地鳴りのような音が聞こえてきて、突然スコールが降ってきた。去年の台風19号くらい降ってたんじゃないかな。

とりあえずその辺のレストランでビールを飲みながら時間を潰して、雨が止むのを待つかと思ったけど、これがなかなか止まなくて。ホテルに呼ぶよう頼んでいたタクシーの時間も近いので仕方なく濡れながらホテルに戻った。

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ここ何日かで仲良くなったホテルのお兄ちゃんが「大変だったね」みたいな目で迎えてくれた。とりあえずトイレで着替えて、靴もぐちゃぐちゃだったからサンダルに履き替えた。この時ほどサンダルを持ってきておいて良かったと思った事はない。

「こんな雨ベトナムでは普通なの?」と聞いたら「そうそうないよ」「これじゃあ、新年の花火も中止だね。Oh No…」なんて会話をした。

 

そしてタクシーが来て、最後は兄ちゃんと握手をして「最高の宿だったよ!」と言って別れた。来てから最後まで優しくしてくれてありがとう。

 

空港に着く頃にはもう雨は止んでいて、出発ロビーではベトナム版行く歳来る年が映し出されていた。

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ロッテリアで食事を取り、お土産屋で色々買っていたが、そこのレジの姉ちゃんが優しくて、帰ってから換金しやすいように(ベトナムは紙とプラスチックの紙幣があって、少額な紙の紙幣は日本で換金できない。)大きな額面の紙幣に変えてくれた。なんて気が利いた女性なんだ。ちょっと好きになりそうになった。サンキューと言って立ち去ろうとすると、窓の方を指差して「見てよ!」と。年明けの瞬間の花火が上がっていた。それも一ヶ所だけじゃなくて、ズラーっと何キロにも渡って、等間隔に。お姉さんと2人でキレイだね〜なんて言いながら。今度こそお礼を言って立ち去った。やっぱり、インスタのアカウント教えておけば良かったかな。

 

花火も止み、飛行機へ搭乗しベトナムを離れた。またいつか行ければ良いなあ。

 

疲れもあり、とてもよく眠れた。目を瞑って起きたら成田空港の上空だった。乗るときにはいなかったおばさんが一つ挟んで隣の席に座っていて驚いた。きっと一列空いてたから座ったんだろう。気持ちはよく分かるよ。真隣に誰かいたら窮屈だしね。

 

前もブログで書いたっけかな。ベトナム料理があまり口に合わなかった事もあって、日本料理が本当に恋しかった。帰ったらうどんを食べると心に決めていた。降りて、荷物を取って、換金する前にうどん屋へ早足で向かう。

セルフサービス式の和食屋、券売機は迷わずきつねうどんのボタンを押す、食券を出す、番号が呼ばれる、着席する、七味をかけ麺を口へ運ぶ。ああ、美味え。

うどんなんて人生で何回も食べたけど、こんなにうどんを美味いと思ったのは初めてだった。

 

あと、帰国後はやっぱり安心感が違う。電車は知っている手順ですぐに乗れるし、その辺を出歩いてもボッタクリタクシーに捕まる事もない。言葉は通じるし飯も美味い。改めて日本はいい国だなと思った。

 

でも、日常には呆気なく戻ってしまった。日本だったら有り得ない事が常識で、言葉もなかなか通じないような場所で5日も1人で過ごしそこに辿り着くまでも紆余曲折あったのに、普通の生活に戻るのは一瞬だった。でもそれはどの旅も同じ。そして、それが旅。そういうものだと思う。でもその日常が無ければ旅で感動する事も無い。戻ってきてそのありがたさが分かる。

 

だから、焼肉じゃないけど、うどんを普通に食べる事ができる日常に感謝して生きていかなければならないのかもしれない。

 

最後まで読んでくれてありがとうございました。

それではひとつよしなに。

自分らしく旅をする

大学生の卒業旅行。まさに今がシーズン。

インスタでみんながだいたいどこに行ってるかは分かるけど、そんな様子を見ているとその人らしさが出るなぁと思う。海外に行く人、温泉地に行く人、あるいは特にどこにも行かない人。まあ大体はヨーロッパに行ってるかな。

 

 そして自分はと言うと、この間のハノイに引き続き原付とフェリーでまだ行った事のない都道府県を潰しながら九州最南端を目指す事にした。水曜どうでしょうの真似だけど、なかなか他の人はやらない事。部活、大学の専攻…昔からあんまり人がやらない事をやりたがってやって来たと思う。

 本当は友達とヨーロッパに行って楽しそうにしているのを見るのが死ぬほど羨ましい。でも僕は大学でそんなに友達を作ってこなかったし、誘われもしなかった。寂しいけどこれが自分が大学でやってきた結果なんだから。

 その代わり一人遊びには金をかけまくってきた。親の庇護に甘やかされているので金はある。野球をはじめとして色々な所に行った。何度も同じ所に行ったりもした。自由気ままに、その日の天気や気分で場所を決めて行くのは時として素晴らしい景色に辿り着いたりもする。

 

 最近では遠くに行くことが増えて、そうなると飛行機の方がコストパフォーマンスが良い事に気づき、フライトによる移動が増えていった。それはそれで時間が有効に使えて良いのだが、何だか移動に味気がなくなってしまった。乗り換え待ちで降りた姫路城、トンネルを抜けた先にあった3月の五箇山の雪景色。そんな思いがけない事が、そういえばしばらく無いなあと思った。

だから、テレビの真似だけど、遅すぎず速すぎずの原付の旅なんかしたいなとずっと思っていた。

 

原付はあまり乗った事が無かったので、叔母にレクチャーを受け、地元で練習を重ねてから出発した。

 

まず仙台港から名古屋までフェリーで向かった。初めてだったので時間の潰し方を知らずとにかく暇だった。着くまで風呂に3回入った。

 

名古屋港に到着して、その日の目的地は奈良。開放感と、やっと始まるという期待感を抱いて原付を走らせたのも束の間、国道は大型トラックの嵐。とにかく追い抜かされるのが怖かった。

さらに待ち受けていたのは通行止め、聞いてないよ。回り道して通ったのは鈴鹿峠。あんな所原付で攻めた奴なんてほとんどいないだろう。とにかく寒くて死ぬかと思った。途中、信楽を通ってタヌキの置物がたくさん売られているのを見た。

 

1時間ほど遅れて奈良に到着。お寺はほとんど閉まっていたが、まあ奈良は生きていればもう一回来るだろう。その時の楽しみにしておけば良い。でもせっかく来たから近くの春日大社だけ行った。街をフラフラ歩いて、うどんを食べ、ゲストハウスの人とビールを飲んで話し、寝た。

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3日目、前日の反省を生かし全身にカイロを貼る。しかしそんなものは紀伊の山中では焼け石に水。雪も降ってくるし、なんでこんな事思いついたんだろうと後悔した。和歌山は掠る程度でも良かったけれども、せっかく来たからと遠回りして和歌山城を経由しご当地ラーメンを食べた。その日は大阪の海沿いを北上し、別府までのフェリーに乗船した。

 

 朝に船から降り、たまには観光をと思い温泉に入り地獄めぐりをした。温泉の隣にあった風俗の女の子が自転車を、その温泉の駐輪場に止めてお店に入っていった光景がしばらく頭の中を巡っていた。その日はまた懲りずに峠越えをして命の危険を所々に感じつつ日向市のホテルに泊まった。


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 次の日はとにかく南下する事を目指し、海沿いをひたすら走り続けた。去年来てもう来る事は無いだろうなと思っていた青島温泉に、身体を温めるためにまた入るなんて。

 日南あたりの海沿い、やっぱり海は良い。雨が降りそうな天気だったけどそれでもきれいだった。これが晴れていたらどんなに良かったことか。その日は鹿屋市のホテルに宿泊。何故かそこで髪を染めた。

 

 朝起きて朝食を済ませ、部屋に戻ると向かいの部屋が賑やかだった。結婚式準備をしているようだった。良いなあ。結婚式、楽しいから誰かのに呼ばれないかな。

 

さあ、今日は目標の佐多岬まで行くよ!と気合を入れて出発。途中、雄川の滝という場所にも寄った。日本にこんな場所があるんだなぁ、と思ったくらい壮観で美しい滝だった。こんなに綺麗な場所、もっと有名になっても良いはずなのに。

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このあたりのガソリンスタンドは個人経営が多いのか、ナンバーを見て店のおばちゃんが「どこから来たの?」と聞いてくれる。そこでちょっとした会話になって、飴をたくさんくれた人もいた。

 

そして沿岸の道路と山道を繰り返し、やっと佐多岬に着いた。時間をかけて来た場所はその分感動が大きい。

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色んな人の、特に叔母の尽力のおかげでまた旅の目標を達成することができた。こういうアホな事、もうしばらく出来ないかもね。だから今のうちにやっておけて本当に良かった。

 

 それから指宿の天国みたいな旅館に泊まって、3日くらいかけて宮城まで帰った。帰宅した次の日は一日の2/3は寝ていた。

 

 道中も時々ヨーロッパに行っている友人のことを思い出し、俺何やってんだろうなと思ったことも幾度となくあった。だけど、いいじゃん、これも。海外なんて生きていればそのうち行けるんだしさ。こんなに時間かけられる事なんて社会人になってしまったら無いからね。なんて自分に言い聞かせていた。

 

最後までありがとうございました。

 

 

 

貴方は時の彼方に消えて 前編

 本当にありがたい事で、僕はその時その時で素晴らしい出会いをする運を持ち合わせている。本当はもっと深く付き合えれば良いのだけど、僕はハードだけは良いものを持っていると思うので好印象を持ってもらえる。広く浅い付き合いも悪いものではない。それは野球や旅でも例外ではなく、その中でも一番印象に残っているのが去年行った石垣島の事。

 

 2年前に続いて2019年2月にも石垣島へマリーンズのキャンプを見に行った。2回目は勝手がわかるので、球場での選手の追いかけ方や街の歩き方もスムーズにいった。

 宿だけは適当にとったゲストハウスだったけれど、これが良かった。やっぱり、木の棒が倒れた方向に行くような旅をしていると旅そのものが歓迎してくれプレゼントをくれる。気がする。

 


 マルボロゴールドをふかしているとサーファー風の日焼けした中年男性が話しかけてくれた。話を聞いたらよくこのゲストハウスに来ているようで、なんと東京のご近所さまだった。

 そんなこんな、話が弾み同い年の大学生も一緒になり夜の市場に行き酒をご馳走してもらった。街は煌びやかすぎず寂しすぎず、ちょうどいい。どこからか三線の音が聞こえて…。石垣島、良いなあ。移住する人の気持ちがよく分かる。

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 さらに夜が更け、ゲストハウスで働いている方とそのお客さん何人かで屋上でお酒を飲んで騒いだ。とても幸せな時間。その時に会った次の日に大東島へ行くと言っていたお姉さんは今でもFacebookでコメントをやり取りしたりしている。

 


 すると同い年の大学生が、「同じ部屋にロッテファンの人いたよ」と教えてくれた。その人も同い年で福岡から卒業旅行で石垣島に来ていたらしい。

 


 酒の勢いもあって、その人に話しかけに行った。その頃はまだヒゲをはやしていたし突然行ったから驚かせちゃったかな。

 


 色々話していると、奇遇な事に次の日に行くつもりだった西表島に彼も行くとの事だった。彼は行きたい場所がいくつかあり、バスで回ると。僕はレンタカーだけ予約して何も考えてなかったから「じゃあ、俺が車運転するから、君が行きたい場所に一緒に行こうよ。」と提案するととても喜んでくれた。僕も嬉しかった。一人旅も良さはあるけど、そりゃ旅行なんて本当は誰かと一緒に行った方が楽しいに決まっている。

 


 次の日、フェリーターミナルで待ち合わせをして島へ向かった。彼とは由布島の水牛車とマングローブのクルーズにまず行った。まあ、何人かで乗り合わせるやつだったし、1人では行かなかったかな。大学生何人かで楽しそうにワイワイしてるのなんて見たら嫉妬するような人間だったし。こういう所で根性が座っていないもので…。だから、本当に運が良かった。

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 それから、島の端から端まで行ってみたり、本州では見られないようなマングローブの景色を眺めたり。とにかく色々行った。

 


 だから別れ際は寂しかったなあ。フェリーが出る時間までついて行って見送りをした。握手までして別れを惜しんだ。だけど、次の日にフェリーターミナルでまた偶然会うなんてね(笑)

 


 彼のおかげで忘れられない一日になった。見ず知らずの僕と遊んでくれてありがとう。

 


 彼は今鹿児島の新聞社で働いていて、この間福岡で試合を見たときに一緒に来ないかと連絡を取った。来てくれる予定だったけれど、残念ながら仕事が忙しくなってしまい来れなくなってしまった。まあ、僕の場合こういうケースが多くて広く浅い付き合いになってしまう。そういう運もあるのかな。でも、いつか一緒にロッテの試合を観に行ければいいなあ。

 

それではひとつよしなに。

別れてたって離れてはいられない

 最近、3年間住んだ代田橋という街から引っ越した。知り合いもたくさん出来たし、普通の大学生では出来ない経験をこの街で沢山した。(その代わり普通の大学生の経験は出来なかったけど。)同性愛の人、全身タトゥーの人、お笑い芸人、ミュージシャン、果てはAV監督まで。沢山の年齢、属性の人と毎晩酒を飲みながら話した。

 そんな街だから思い入れが特段強い。これからもこの街の経験を語っていく事だろう。

 そして昨日、残った荷物を取りに戻ると、何だか安心した気持ちになった。そんな感情をハノイでも味わった気がする。

 

 ハノイ3日目、ハロン湾というところが有名だとインターネットで知り、行き方も分からないのでその日だけツアーで申し込んだ。ヒルトンホテルのロビー集合となっており、勝手に入っていいのかなとか思いつつ恐る恐る豪華絢爛なホテルのロビーに座ってガイドが来るのを待っていた。怪しまれないようになるべく堂々としたフリをしていた。

 

バスが来て乗ると、乗客は全員日本人だった。2日だけでも異国の地で孤独な日本人をやっていると、うどんと日本語が恋しくなる。だからナチュラルな日本語を聞いただけでとても安心した。

 

 けれども、誰とも会話ができない。代田橋だったら出来るのに。乗客でいたのは、僕と歳が近そうな女性2人組、仲の良さそうな老夫婦、一人旅の男性が僕含め3人。行きのバスは終始無言で、眠れもしないのでずっと地図を眺めていた。

 日本にでもその辺にありそうなお寺と、ローカルめな市場を巡ってから、ハロン湾の島へ向かうクルーズ船へ。

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 そこで昼食だったのだが、なんと大皿を取り分けるスタイル。しかも僕のテーブルは一人旅の男性と一緒。ここでも会話が無かったらせっかく来たのに地獄だ。だが、そこで現地人ガイドの鶴の一声「追加料金でお酒も飲めますよ」と。チャンスだ!すかさずビールを注文するとあとの2人も同じビールを注文した。

 ご飯とビールが運ばれてきて、キッカケを作るために誰がどう見ても一番歳下の僕から「じゃあ、とりあえず乾杯しましょう。」なんて生意気をほざいた。すると、1人の中年男性が会話を切り出した。良かった!おじさんありがとう!

 すると堰を切ったように会話が弾んだ。代田橋でもそうだけど、やっぱり酒ってコミュニケーションツールなんだなぁ。話を聞くと2人とも海外在住の方で、日本に住んでいるのは僕だけだった。船の屋上に出て景色を眺める時間になった頃には、全員仲良くなって会話をしていた。日本語で会話出来たことが本当に安心したし嬉しかった。

 

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 世界遺産とだけあって、島々の景色と鍾乳洞はとても美しかった。帰りの船とバスは酒が入っていたのでみんな寝てしまった。僕も例に漏れず。

 

 最後のお別れになると、じゃあ、またどこかで!なんてみんなで言って。ああ、良い1日だったなあ。

 

 失った時にその大切さが分かるなんて僕は今まで幾度となく聞いてきたし、読んでくれてる人もそうかもしれないけど、今回はすごく短期間でそれを感じることができた。

 今回の旅でいろんな意味で日本っていい国だなと思ったけど、その一つ。自分の故郷って安心するんだね。

 代田橋にもこれからも時々通うことにしよう。

 

最後までありがとうございました。

 

それではひとつよしなに。

 

 

未来への召喚状

ハノイ2日目のお話です。

 

 地元に帰ると従姉妹が祖母にプレゼントしたという写真集があり、手にとってみるとそれは50年前の石巻の風景だったのだが、まさにそれはその1週間前まで行っていたベトナムの風景そのものだった。それを見て思った事。

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2日目は小雨がぱらつくハノイ市内を観光した。ハノイは仏教の色が濃く残っており、寺院がたくさんあった。漢字を見るとなんだか落ち着いた。

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ホーチミン廟なんかも見たり、ボッタクリタクシーのおじさんがしつこかったり、とにかくたくさん歩き回り疲れて昼過ぎにホテルで休んでいたのだけれども、あまりにも帰るのが早くルームクリーンが入る前になってしまい、清掃のおばちゃんを少し困らせてしまった。邪魔にならないようその間はバルコニーでビールを煽っていた。

少し昼寝したら夕方に差し掛かっていたのでまた旧市街へ繰り出した。

そこで見たのは大教会。この旅で一番感動したかなぁ。外に出てからポケットWi-Fiを忘れた事に気づき、道も複雑だったのでキャッシュに残っていたGoogleマップを頼りに少し迷い気味に彷徨っていると、厚い雲が晴れたように開けた場所に辿り着き、大きな教会が現れた。外観は古かったけれども、混沌の中に荘厳なフランス建築が現れ、ああ、綺麗だなと感動した。

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夜にはタンロン水上劇が有名らしいというのをネットの情報で仕入れていたので、せっかくだから見に行った。けれども、まあ、一回見れば良いかなぁ、という感じ。でも行ったら見たほうがいいと思う。

 

それなりに市内をグルグルしていたけど、移動手段はタクシー。とにかく安い。初乗り80円くらい。だし住所を見せて金を払えば言葉が分からなくても目的地へ連れて行ってくれる。

そのうち慣れてきてgrabという日本でいうUberのようなアプリでタクシーに乗った。特徴的なのはバイクのタクシーもある事。車の半額くらい。ちょっと怖かったけれどせっかくだから乗ってみた。帰って話のネタにしたいし。でも邪魔くさいなあと思っていたバイク軍団の中に入ってみるとかなり気持ちが良かった。運ちゃんも優しかったしね。

 

ここまで言うと普通の話のように思えるけれど、気になるのはそんなに裕福でないバイク乗りもスマホを持ってgrabを使いこなしている事。(現地のガイドが車は関税がかかり日本の値段の3倍くらいすると言っていた。だから金持ちしか乗らない。)

そう、最初の話。50年前の石巻の人たちがスマホを持ってそれでお金を稼いでいる。ハノイに到着していた時から感じていたパワーはこれだったのかもしれない。

 

この国はまだまだ発展の余地がある。そしてそんな国の普通の人たちが最先端の端末を持っている時代。ベトナムの20年、30年後はどうなっているんだろう。

 

最後までありがとうございました。

 

それではひとつよしなに。

ミクロとマクロの距離感

2年前のこと。

僕が野球好きでマリーンズファンなのは高校の頃からフォロワーの人は良く知っていることだと思う。心の中ではずっと好きだったけれど、行動として再燃したのは大学2年からのこと。マリーンズの追っかけを始めた。

小学校の時に何度か球場に足を運んだだけで、それ以来7〜8年くらい現地で試合を見ていなかった。その反動かもしれない。

 

本当に好きかあるいは暇、もしくはその両方のファンは沖縄や九州のキャンプまで追いかけに行く。僕は友達も少なく誰かと遊ぶこともあまりなかったので野球観戦に傾倒した。

 

マリーンズのキャンプは石垣島で開催される。ちょっとだけ遠いけれどそれを見たくて行った。

 

羽田空港を発って那覇空港から乗り継いで1時間。飛行機の中から見ても美しい海、田園風景。ああ素晴らしい。車を借りて、市街地までのサトウキビ畑の中を突き抜けていく爽快感。

 

球場に着いて、を思う存分見て、買いたての一眼レフで選手の動きを追いかけ、練習後はサインを貰って…。2日間くらいはそれに終始したかな。

 

夜になったらゲストハウスの方のオススメの居酒屋で酒を飲み宿に帰って従業員や泊まっている人とゆんたく(お話)をして寝る。その時はゲストハウスはそういう知らない人とコミュニケーションを取る場でもあるし、とりあえず人には話しかける事が大事だと思っていたけれど、今思えば「こいつ鬱陶しいなあ」と思った人もいたかもしれない。これは後の話に繋がるんだけどね。

 

野球を思う存分見てから、3日目だったかな、竹富島という小さな島に行った。ガイドブックやエッセイには道がサンゴのかけらで出来ているとか、コンドイビーチの綺麗さとかについて話していて自分もそれを期待していった。まあ、それは間違いじゃなかったけれども、リゾート化されていて観光客も多いしそういう人向けの店もほとんどだったし、なんだかちょっとガッカリしてしまった。行ったことないけど日光江戸村のような感じかな。コンドイビーチで読書を楽しもうと思ったけどそんな気分にもならなかったし。あとリゾート建設反対の旗。そんなものいらないよ。てか、これ以上リゾート化するなよ。ローカル感を味わいに行ったのに…。でもそんな場所は日本にはもうほとんど無いのかもしれない。

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ネットで調べて行った夕日の綺麗な桟橋で写真を撮っていると1人の中年男性に話しかけられた。その時は話しかけてもらえるのが嬉しかったけど問題はその夜。島唯一のバーでお酒を飲もうと思ったらその男性がいて一緒に飲みながら話した。だけど、僕の話なんか一切聞いてくれない。ずっと自分の話。やっと解放されたと思ったら店主の方に「大変だったね。君は今日のヒーローだよ。」とか「これに懲りずにまた来てね。」とかねぎらって頂いた。側から見てもそう思っていたんだな。だけど昨日の自分もそうだったのかもしれない。

 

あとは、そんなに覚えてないな。本島に1日滞在する日があって、結局車も借りてないしやる事が思いつかなかったから北谷にロッテ対中日の練習試合を見に行った。結局ここでも野球なんだね。あ、あと大学の先輩と偶然日程が同じだったから飲みに行ったな。f:id:nonocoto:20200204232217j:image

 

みんなも、お金と時間に余裕があれば一度は石垣島に行ってみてほしい。そして、どこか一つでいいから離島に行ってみてほしい。八重山の人たちのゆったりした生活に触れ、吸い込まれそうになれ…。山手線が止まることなんて、どうでもよく思える。それは言い過ぎかな。ちょっと気取ってしまったかな。とにかく、島にいる間だけでも大らかな心になれる。そんな時間がたまに無ければな、と僕は思う。あと、相手の立場に立ってお話とかはしてあげないとね。難しいけど。

 

最後までありがとうございました。

それではひとつよしなに。