日常と非日常(ベトナム4日目)
今日、小学生以来かな。クレヨンしんちゃんの映画「栄光のヤキニクロード」を鑑賞した。観たことある人も多いと思う。
大人になってから改めて観ると、子供の時とはまた違った気づきがある。
ひとつ気づいたのは、「非日常・荒唐無稽さ」から「日常・普遍的なもの」に変化するシーン・仕掛けが何度かあるという事。映画全体としても、最初は訳もわからず敵に追いかけ回され、紆余曲折あり勝利するものの、最終的には帰宅し家族で焼肉を堪能する庶民的な日常に戻るというのが全体的な流れであるが、その戻り方が熱海から新幹線と在来線を乗り継ぎ帰宅しており、それまでとは落差があり呆気なく日常に戻っている。が、僕が思うにもっと簡単なもので、しかも象徴的なシーンがある。それは敵の小太りの中年が野原家に敗北し、解散が宣言された直後、普通の見た目の奥さんが「お弁当あるわよ」なんて言いながら車で迎えに来て、「いやぁ、今日は疲れたから帰るよ。」と言いながら帰路に着く。一瞬そのギャップにポカンとしてしまったが、悪役にも日常があり、このキャラクターの場合は家庭もある。子供はいるのかなぁ、なんて考えた。
そう、非日常になるまでとその非日常の中には色々ストーリーがあるけれど、非日常から日常に戻るのなんて、本当に呆気のないもの。そして、戻った時には改めてその普遍的な毎日のありがたさに気づく。
さて、そもそもの話に立ち返りましょう。これは僕の旅の備忘録。この前振りをどこの旅に当てはめるかと言うと、まだ書いていなかったベトナム4日目のお話。
お店はほとんど空いてないし、雨だし…空港までのお迎えが来る21時までどうしようかなあと考えていた。とりあえずタクシーでロッテ百貨店に向かう。ここにいればいい感じに時間を潰せるだろう。とりあえずフラフラして、喫煙所に入って、ご飯を食べる。またフラフラして、有名なカフェに入ってコーヒー2杯で2時間を潰す。いつもはちょっと思う所があるけど、その日は注文した物がなかなか出てこないのも全然ウェルカムだった。何故なら、とにかく時間を潰せればいいから。
それでもやる事が無くなって、近くの日本人街をフラフラしながら、近くで空いていたカフェで時間をまた潰した。後から調べたらそこは有名な所らしかった。
それでも飽きてしまって、またハノイ旧市街にタクシーで戻り、見つけたマッサージ店に入ることにした。ここだったら少なくとも1時間は過ごせる。まあ、そうだったんだけど、100万ドンを寄越せと18歳の可愛い女の子にせがまれ、手で下の世話をされたのはまた別の話。
マッサージ店を出ると、近くから地鳴りのような音が聞こえてきて、突然スコールが降ってきた。去年の台風19号くらい降ってたんじゃないかな。
とりあえずその辺のレストランでビールを飲みながら時間を潰して、雨が止むのを待つかと思ったけど、これがなかなか止まなくて。ホテルに呼ぶよう頼んでいたタクシーの時間も近いので仕方なく濡れながらホテルに戻った。
ここ何日かで仲良くなったホテルのお兄ちゃんが「大変だったね」みたいな目で迎えてくれた。とりあえずトイレで着替えて、靴もぐちゃぐちゃだったからサンダルに履き替えた。この時ほどサンダルを持ってきておいて良かったと思った事はない。
「こんな雨ベトナムでは普通なの?」と聞いたら「そうそうないよ」「これじゃあ、新年の花火も中止だね。Oh No…」なんて会話をした。
そしてタクシーが来て、最後は兄ちゃんと握手をして「最高の宿だったよ!」と言って別れた。来てから最後まで優しくしてくれてありがとう。
空港に着く頃にはもう雨は止んでいて、出発ロビーではベトナム版行く歳来る年が映し出されていた。
ロッテリアで食事を取り、お土産屋で色々買っていたが、そこのレジの姉ちゃんが優しくて、帰ってから換金しやすいように(ベトナムは紙とプラスチックの紙幣があって、少額な紙の紙幣は日本で換金できない。)大きな額面の紙幣に変えてくれた。なんて気が利いた女性なんだ。ちょっと好きになりそうになった。サンキューと言って立ち去ろうとすると、窓の方を指差して「見てよ!」と。年明けの瞬間の花火が上がっていた。それも一ヶ所だけじゃなくて、ズラーっと何キロにも渡って、等間隔に。お姉さんと2人でキレイだね〜なんて言いながら。今度こそお礼を言って立ち去った。やっぱり、インスタのアカウント教えておけば良かったかな。
花火も止み、飛行機へ搭乗しベトナムを離れた。またいつか行ければ良いなあ。
疲れもあり、とてもよく眠れた。目を瞑って起きたら成田空港の上空だった。乗るときにはいなかったおばさんが一つ挟んで隣の席に座っていて驚いた。きっと一列空いてたから座ったんだろう。気持ちはよく分かるよ。真隣に誰かいたら窮屈だしね。
前もブログで書いたっけかな。ベトナム料理があまり口に合わなかった事もあって、日本料理が本当に恋しかった。帰ったらうどんを食べると心に決めていた。降りて、荷物を取って、換金する前にうどん屋へ早足で向かう。
セルフサービス式の和食屋、券売機は迷わずきつねうどんのボタンを押す、食券を出す、番号が呼ばれる、着席する、七味をかけ麺を口へ運ぶ。ああ、美味え。
うどんなんて人生で何回も食べたけど、こんなにうどんを美味いと思ったのは初めてだった。
あと、帰国後はやっぱり安心感が違う。電車は知っている手順ですぐに乗れるし、その辺を出歩いてもボッタクリタクシーに捕まる事もない。言葉は通じるし飯も美味い。改めて日本はいい国だなと思った。
でも、日常には呆気なく戻ってしまった。日本だったら有り得ない事が常識で、言葉もなかなか通じないような場所で5日も1人で過ごしそこに辿り着くまでも紆余曲折あったのに、普通の生活に戻るのは一瞬だった。でもそれはどの旅も同じ。そして、それが旅。そういうものだと思う。でもその日常が無ければ旅で感動する事も無い。戻ってきてそのありがたさが分かる。
だから、焼肉じゃないけど、うどんを普通に食べる事ができる日常に感謝して生きていかなければならないのかもしれない。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
それではひとつよしなに。